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永代供養・永代供養墓の歴史。現在の形になったのはいつか

最近、人びとの関心を集めている「永代供養」という考え方。永代供養は従来のお墓とは異なる特性がありますが、メリットも多く、現代人のニーズをカバーできる要素を持ちあわせています。

その「永代供養」の起源を見てみると、江戸時代にまでさかのぼることができます。当時は今ほど注目を集めていませんでしたが、その後、時代を経て二度ほど注目を集めることとなります。一度目は1980年代。そして、二度目は2000年に入ってからです。とくに2000年に入ってからは、1999年におこなわれたお墓に関する法律の部分改正により多くの注目を浴びることとなり、世の中に本格的に広まったといえます。

今回はそうした「永代供養」の起源とその歴史、現在に至るまでの経緯を解説します。さらに、「永代ってどういう意味か」「永代供養は合祀墓と同じなのか」など、永代供養に関する基本的な疑問にもお答えします。

「永代供養」を選ぼうと考えている方、「永代供養」にどんな歴史的背景があるのかを知りたい方は、ぜひ参考にしてください。

この記事でわかること
  • 永代供養の起源や歴史、現在に至るまでの経緯
  • 永代供養がここまで注目されるようになってきたワケ
  • 永代の意味や永代供養に関する不安や疑問に対する答え

永代供養・永代供養墓の基本情報

永代供養とは、一式料金を払えば、納骨後の供養・管理を管理施設(寺院や霊園)が「永代にわたって」おこなってくれる供養方法のことです。お墓の掃除や修繕、法要などを施設側に任せることができるので、遺された方々の負担が軽減される利点があります。

そのほかにも、

といった特徴があって、たとえば「お墓の負担を次世代に背負わせたくない」「後継ぎがいないので家のお墓をどうするか迷っている」というお墓問題の悩みを解消できます。

永代供養・永代供養墓が注目されるようになった理由

後継ぎが先祖代々のお墓を引き継ぎ、寺院の檀家になることによって供養・管理をしてもらう。

こうしたお墓の制度は、1898年(明治31年)に制定された「家制度」に基づいています。
江戸時代では個人ごとに墓を建てる「個人墓」と呼ばれるものがほとんどでしたが、家制度が制定されると、一家のご遺骨を埋葬する「家族墓」が一般的となります。そして、墓石には「○○家先祖代々之墓」「○○家之墓」など書かれるようになりました。

そうした歴史を経て、「墓石を承継する」つまり「家のお墓を守り継ぐこと」は日本人にとってあたり前の感覚になっていきました。

しかし、さらに時代が進み「現代」と呼ばれる時代に入ると、日本は「家を大事にする社会」から「個を尊重する社会」へと変わっていきます。核家族化が進み、結婚をせずに一生を独身で過ごす人も増えました。
こうした変化は「お墓の後継ぎがいなくなる・少なくなる」という状況を招きます。代々受け継がれてきたお墓を、次に継承できない…そんな事情を抱えた家庭や地域が、全国的に増えていったのです。

そんな中で、お墓の継承者がいなくても利用できる「永代供養」に、人びとの注目が集まるようになりました。「永代供養」は現代人のニーズを満たす要素を多く持つため、人びとの関心が向くのはある意味では自然な流れだともいえます。

永代供養の起源は江戸時代にさかのぼる

実のところ、永代供養の起源については、はっきりとしたことはわかっていません。
しかし、多くの寺院で、江戸時代に書かれたとされる「永代台帳」が見つかっています。それを紐解くと、江戸時代にはすでに、永代供養の原型となるような仕組みがあったことがわかってきました。

当時の永代供養(に似た制度)は、檀家制度を基軸にしていました。檀家は毎年お布施を払うかわりに、寺院に供養・管理をおこなってもらっていたのです。

そのため、もしも檀家が離檀してしまった場合、永代供養そのものがおこなわれなくなることも多かったようです。しかも当時の檀家制度の都合上、永代供養を受けられるのは、その寺院の宗旨を信仰する近隣住民に限定されていました。

地域に関係なく永代供養を利用したい人たちは、「信者寺」と呼ばれる施設を頼ります。信者寺は檀家を持たない寺院で、寺院の宗教・宗派を信仰しているかどうかは問うものの、利用者の地域を問うことはありません。居住地に関わらず永代供養を受けたい人にとっては、うってつけだったといえます。

現在に通じる「永代供養墓」の歴史がはじまったのは1985年ごろ

当時の永代供養(に似た仕組み)は、毎年お布施を払う必要があって、住んでいる地域が問われるなど、現在の永代供養よりも自由度が少なく、限定的なシステムでした。

それでは、現在の「永代供養」に通じる仕組みがはじまったのはいつごろなのか。それは、バブル景気のきっかけとなるプラザ合意が結ばれ、携帯電話の先駆け的存在「ショルダーフォン」が登場した、1985年ごろのことでした。

比叡山延暦寺に「久遠墓」が登場する

「永代供養墓」と呼ばれるお墓が日本に初めて登場したのは、天台宗の総本山である比叡山延暦寺。そのお墓は、「久遠墓(くおんぼ)」と呼ばれました。天台宗といえば平安時代に最澄が開いた宗派で、日本史の教科書にも載っています。比叡山は織田信長による焼き討ちでも有名な場所です。

「久遠墓」では、複数のご遺骨を納骨する共同墓ではなく、一代限りの個人墓や夫婦墓が多く建てられました。広大な土地に約2,000基にもおよぶ個人墓・夫婦墓が設置され、その利用システムは、現在でも十分に通用するほど立派なものでした。

比叡山延暦寺の霊園には、現在でも「久遠個人墓」「久遠夫婦墓」「久遠安養墓」など、さまざまなタイプの永代供養墓が並んでいます。初めの「久遠墓」が登場してから35年以上経った現在でも、多くの人びとの最期に寄り添っています。

当時の日本の状況から注目を集めるように

久遠墓が登場した1985年ごろの日本では、それまで回復傾向にあった出生率が再び減少しはじめ、その流れが止まらないことが社会問題となっていました。女性が生涯に出産する子どもの数は「2人」を大きく下回って、少子化が進んでいった時代です。それにともない、多くの家庭でお墓の継承問題が浮上してきました。

久遠墓は、そんな時代の流れの中で登場しました。お墓の後継ぎがいなくても利用でき、また多くの人に知られる比叡山の施設ということもあって、テレビ・新聞をはじめとしたメディアで何度も取り上げられたのです。そして、多くの人びとの注目を集めるようになっていきました。

久遠墓に続くようにして、ほかの場所でも永代供養墓が登場

やがて、そんな久遠墓に続くようにして、1989年には新潟県の妙光寺に「安穏廟(あんのんびょう)」が登場しました。さらに、1990年には、東京都の巣鴨にある平和霊苑に「もやいの碑」が登場します。どちらも久遠墓と同じく、現在でも永代供養をおこなっています。

当時の「永代供養墓」に対するイメージ

社会的な背景もあって注目を集めた「久遠墓」ですが、当時の人びとがそこに抱くイメージは、決してポジティブなものばかりではありませんでした。

当時はまだ「お墓は代々継ぐものである」という考え方が根強く、「久遠墓」は身内がいない人や、やむを得ない事情がある人が利用するものだというイメージを抱かれていたのです。

くわえて、まだ永代供養の制度自体が安定しておらず、お墓の外観にも満足できるものが少なったという事情もありました。なかには、無縁墓から取り出したご遺骨を保管する「無縁塔」に似たデザインの永代供養墓もあったため、「永代供養墓」というものにネガティブなイメージを抱く人も多かったのです。

ここまでのまとめポイント

本格的に永代供養が広まったのは2000年から

1980年代、1990年代には、世間に十分受け入れられているとはいいがたかった永代供養。しかし、ある法律の改正をきっかけとして、2000年あたりから本格的な広がりを見せるようになります。

法律の改正がきっかけに

1999年、「墓地、埋葬等に関する法律」の部分改正がおこなわれました。

それまで、お墓からご遺骨を取り出してほかのお墓に移す「改葬」には、さまざまな手続きが必要でした。しかし、上記の法律が改正されたことによって、改葬の手続きが大きく簡略化されます。

そもそも、永代供養を利用するには家のお墓を「墓じまい」して、永代供養墓に引っ越し(改葬)する必要がありました。それまでは、その手続きに非常に手間がかかったため、それが永代供養を利用したい人にとって大きな壁となっていたのです。

しかし上記の法律が改正されたことによって、家のお墓から永代供養墓への移行がしやすくなりました。それに従い、永代供養に対する需要も徐々に伸びていきます。

この流れに勢いを持たせたのが、1990年代後半から普及しはじめていたインターネットの存在です。インターネットによって永代供養の情報収集、募集がおこないやすくなったため、「永代供養を利用したい人」と「永代供養の運営者」がつながりやすくなりました。

このように、「法律の部分改正」と「インターネットの普及」が起因となって、永代供養は世間に広まっていったのです。

永代供養への認知度・需要が高まって、意識が大きく変わった

法律の改正とインターネットの普及によって、永代供養は世間に着実に浸透していきました。それによって、永代供養自体もより利用しやすい形に変わっていきます。

それ以降、永代供養に対する人びとの評価も徐々に肯定的なものへと変化していきました。また、そんな永代供養の普及は、昔からあった「納骨堂」のあり方にも変化を与えたのです。

安心できるシステムの確立が進み、永代供養の認知度が向上した

永代供養が普及すると、しっかりとした、安心して利用できる供養・管理システムを確立する寺院も増えていきました。さらに、外観的にも利用者の希望にかなうようなものが増え、多様なニーズに応えられるさまざまなタイプの永代供養墓が生まれていきます。

永代供養のサービス拡充によって、人びとの意識も変わってきて、永代供養を積極的に利用したいと考える人も増えていきました。永代供養を肯定的に捉える人が増え、認知度も高くなっていったのです。

アンケート結果にも肯定的な評価が増える

それは永代供養に関するアンケート結果にも反映されています。

厚生労働省が過去におこなった調査では、永代供養を「積極的に評価する」「関心を持っている」と答えたのは全体の14%で、「やむを得ない」と答えた人が58%にも上りました。しかし、その10年後におこなわれた調査では、「永代供養が必要になる」と答えた人が38%にも上り、永代供養を評価する人が増えていることが明らかになったのです。

「お墓の継承問題」を抱える人たちの悩みに、永代供養が適切に応えられるようになって、人びとが永代供養に抱く印象も変わってきたということですね。

「納骨堂」のあり方にも変化が

永代供養が本格的に普及したことで、「納骨堂」のあり方にも変化が見られました。

現在では永代供養の一種に数えられることも多い納骨堂ですが、もともとは「一時的に骨壺を安置するための場所」でしかありませんでした。しかし、永代供養が広がりを見せることで、納骨堂の中にも丁寧に祭祀をおこない、しっかりと造られた霊廟内でご遺骨を管理する施設が増えていきました。

さらに、現在では永代供養をおこなう納骨堂も増えてきています。納骨堂は都市部や都市近郊など、アクセスしやすい場所にあることも多く、さまざまなニーズに応えうる供養方法のひとつとなっています。

ここまでのまとめポイント

今後も注目が集まる永代供養・永代供養墓

「久遠墓」が登場した1985年ごろから35年以上経った現在も、日本にはさまざまな問題があふれています。「少子化」は「少子高齢化」という形に変わって、日本人の悩みの種になっています。また、「地域の過疎化」「東京一極集中」「人口減少社会」といったキーワードが話題に上ることも多くなりました。

人びとのライフスタイルや価値観も、大きく変わってきています。昔に比べると、結婚せずに生涯独身を選ぶ人や、結婚しても子どもを持たない夫婦、女性だけで構成される家庭などが増えました。それにともなって、人びとの「生き方」「価値観」も多様化してきています。

平成7年に東京都がおこなった「都市型墓地に関する意識調査」では、「誰と一緒に埋葬されたいか」という項目で、「先祖代々」「親」と答えた人の割合より、「配偶者」「家族」「子ども」と答えた人の割合の方が大きくなりました。そのほかの調査では、「親しい友人・知人と一緒のお墓に入りたい」と考える女性が増えていることがわかっています。

このように、時代の変化は人びとの考え方や生き方に変化を与え、「お墓」に対する多様なニーズを生み出しています。そのニーズに応えうる永代供養という考え方には、これからも注目が集まっていくと考えられます。

永代供養墓に関する疑問

永代供養の歴史について把握したところで、永代供養に関する疑問についても確認していきます。

「永代供養は合祀墓と同じものか」
「永代供養でもお墓参りはできるのか」

こうした疑問に対する答えを知ることで、永代供養の基本についても学ぶことができます。永代供養の歴史と一緒に、ぜひチェックしてみてください。

永代供養=合祀墓なのか?

「永代供養=合祀墓」だとイメージする人もいますが、必ずしもそういうわけではありません。ちなみに「合祀(ごうし)」とは、ご遺骨を骨壺から取り出して、ほかのご遺骨と一緒に埋葬すること。

たしかに、永代供養の中には「ご遺骨を初めから合祀するタイプ」もありますが、それとは異なる「ご遺骨を個別に安置するタイプ」もあります。この場合は、ご遺骨を骨壺に入れたままで納骨するのですが、その安置方法はさまざまです。

ほかの骨壺と同じ空間にまとめて安置する「集合安置型」、ほかとは区切られた空間で骨壺を安置する「ロッカー型」「霊廟型」など、実にさまざまな種類が存在します。また、費用は割高ですが、個人のお墓を建てて、そこにご遺骨を納骨するタイプもあります。

個別安置でも、多くの場合は「期間」が設定されている

ただし、これらのタイプであっても、多くの場合は「ご遺骨を個別安置する期間」が設定されています。この期間を過ぎると、ご遺骨は共同スペースに合祀されることがほとんどです。

もしも納骨後に事情が変わることも考えて、できるだけ長く個別安置の期間を設けておきたい場合は、費用を追加で支払うことで、個別安置の期間を延長できるところもあるので、そういった施設を探してみるのもおすすめです。
なお、延長できる期間や金額は施設ごとに異なる点には注意してください。

永代=永久・永遠なのか?

永代供養における「永代」とは、決して「永久、永遠」と同じ意味ではありません。「永代」とは、あくまで「長い期間」を指す言葉です。「永代にわたって」と聞くと、ついつい「ずっと永遠に供養してもらえるのか」と考えてしまいがちですが、それは違います。

たとえば、寺院・霊園の経営が破綻するなど、何らかの事情が出てきた場合に、供養・管理の継続がむずかしくなることがあります。寺院・霊園の経営破綻や閉鎖は可能性としては少ないことですが、あり得ないことではありません。

逆にいえば、寺院・霊園などが存続する限りにおいて、永代供養は続けられていきます。「永代にわたって」という部分を、「寺院・霊園の永続性において」と解釈するとわかりやすいですね。

そのため、永代供養を選ぶ時は、管理施設の経営状態についてもしっかりチェックすることが大事です。

永代供養でもお墓参りはできる?

「永代供養にすると、お参りができなくなるのでは?」と懸念する人もいます。しかし、永代供養にはさまざまな種類・形態があって、なかには気軽にお参りに行けるようなところもあります。

ただ、全ての施設がそうというわけではないので注意が必要です。たとえば、納骨堂と呼ばれる施設の中には、参拝の時間が決まっているところもあります。どれだけ自由にお参りができるかは施設によってさまざまなので、具体的なことは資料請求や施設見学などでしっかり確認してください。

永代供養にしても分骨・改葬はできる?

「永代供養をすると、分骨や改葬ができなくなる」と考えている人もいらっしゃいます。たしかに、そういうケースもあります。たとえば、ご遺骨を最初から合祀してしまうタイプの永代供養墓は、その典型例です。

ご遺骨を合祀すると、ほかのご遺骨と一緒になってしまうので、後から故人のものだけを取り出すことができなくなります。そのため合祀後は、基本的に分骨・改葬に対応することはむずかしくなります。

しかし、前述したとおり、永代供養の中にはご遺骨を骨壺に入れたまま、個別に安置するタイプもあります。このタイプの中には、個別安置の期間内なら分骨・改葬に対応してくれるところがあります。

ただし、この点も管理施設によってさまざまです。「個別安置期間内でも、分骨・改葬には対応しない」というところもないとは限らないので、注意してください。「個別期間内に分骨・改葬に対応してくれるか」は、施設に直接確認を取ることが大事です。

夫婦や家族で永代供養に入れる?

永代供養には、夫婦や家族単位で申し込めるタイプもあります。大切な家族と一緒に永代供養墓に入りたい場合は、こうした施設を探すのがおすすめです。

また、ペットの永代供養も増えてきました。家族の一員として過ごしたペットを、手厚く供養してあげたいと思うニーズが後押しになったといえます。
ペットだけで入れる永代供養のほか、ペットと家族が一緒に入れるタイプもあります。このタイプは、個人や夫婦、家族単位で申し込める永代供養墓に多く見られ、「ペットだけを先に納骨する」という選択ができることも。

このように、永代供養にはさまざまなタイプがあるので、できるだけ多くの情報を集め、比較検討してみることが大事です。そうすることで、自分たちに合ったものを選びやすくなります。

まとめ

永代供養の歴史を紐解いてみると、江戸時代にはすでに原型となる仕組みがあったことがわかります。その後、少子化が進んだ1985年ごろに初めての永代供養墓である「久遠墓」が登場し、世間の注目を集めました。

1985年ごろはまだネガティブなイメージを持たれていた永代供養墓。しかし、1999年に法律の改正がおこなわれると、状況は変わっていきます。法改正によって永代供養が利用しやすくなって、徐々に需要が伸びていったのです。

すでに普及しはじめていたインターネットによって、永代供養は世間にだんだんと認知されるようになっていきます。それにともない、永代供養・永代供養墓に対するイメージも、次第に肯定的なものへと変わっていきました。

そして、現在ではさまざまな種類の施設が増え、多くの人が永代供養を利用しようと考えるようになりました。現代人が抱える多様性や、さまざまなニーズに応えうる永代供養に対する需要は、今後さらに増えていくと考えられます。